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第1章 あの日を想う

第1章 あの日を想う

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まちを取り戻す

事業促進を図る

災害廃棄物処理に始まり、津波により甚大な被害を受けた沿岸部の宅地造成を行いました。被災地での生活が震災以前よりも豊かなものにするために、そして、災害に負けないまちづくりのために、奥村組では、トンネル工事や、高盛土構造の道路工事、木処理施設など、被災地周辺のインフラ整備を行いました。

※写真:押角トンネル(出展元:岩手県)

Feature

笑顔を取り戻す

災害廃棄物処理を経て更地となったまちに住むところを取り戻すため、大規模な宅地造成が行われました。その後、被災地周辺のインフラを整備し、復興事業の促進を図りました。奥村組は押角トンネル、釜石中央インター、大沢水門など、被災者の方々が震災以前の生活を取り戻せるように、さまざまな工事を行いました。

未来の礎を築く

東日本大震災から10年が経過した後も復興工事は続きます。石巻市沿岸部に位置する「魚町道路工事所」では、防災・減災機能を備えた高盛土構造の道路工事が行われました。また、福島第一原発事故によって帰還困難区域となった富岡町では、現在も解体撤去、廃棄物の分別、放射能除染の工事が行われています。このほか、女川小・中学校の渡り通路の修繕工事など建築工事も継続して行われる予定です。

がれきを処理して終わりじゃない

災害復興プロジェクトが立ち上がり、2011年3月末と5月の連休明けに大学教授の方々と現地視察に行きました。2回目の視察の帰りの新幹線で、東京工業大学の教授から「奥村組は瓦礫処理をして終わりじゃないよね?」と言われました。これが、その後のまちづくりを意識させられるきっかけとなりました。

私たちも瓦礫処理が終わればそれで引き上げるつもりはなく、その後、東北の方々が以前のように暮らせる町をつくっていかなくてはならない、復興していかなくてはならないということはわかっていました。一時的に被災地へ行くのではなく、部署をつくるべきだと思いました。翌朝には、水野副支社長に「瓦礫処理後のまちづくりを視野に入れた体制づくりをしてほしい」と話し、復興プロジェクト室を立ち上げてもらいました。

うちが関連したすべての地区を手助けしたいと申し出たのですが、人員の関係から注力エリアを岩手県に絞り、復興プロジェクト室の拠点を盛岡としました。復興事業を通じて感じたのは、地元の方々に貢献するということは土木技術者の使命だということです。災害復興において、使命感を持って取り組むことが大事であると感じました。

埜本 雅春
埜本 雅春