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3月11日、私は東北支店転勤のため東京駅で新幹線に乗ろうとしたところ地震に遭いました。電話も繋がらない中、偶然繋がった友人からバイクを借してもらえる事となり、その翌日、バイクで東北に向かいました。郡山市についた時には辺りは暗く、雪も降っていたため、あの寒さは一生忘れられません。
東北支店に着くと、顧客より相談事があると呼ばれ、「亀裂のある道路を走行する方法」「電気のない川の水を汲みあげる方法」「40km離れた取水場から毎日400m3を運ぶための運搬方法(通信がないためどう管理するかを含めて)」を聞かれ、そのまま手書きで施工計画書を書く事となり戸惑いましたが、いずれ誰かがやらなければならない仕事であると気持ちを切り替えて引き受けました。
福島第一原子力発電所事故の多様な噂の中、招集された作業員達は不安もありながらも発電所内に避難されている方々のためにも確実に運搬しなければという義務感がありました。被災者にもご協力頂き、その時々に行き交う「ありがとうございます」との言葉は、職員を含め作業員全員の励みになったと思います。
発電所内の一角では今までの発電所建設に携われて亡くなった人達の石碑も倒れたままであったので作業最終日に何とか重機を入れて復旧しました。石碑復旧は頼まれていた作業ではありませんでしたが、復旧後の石碑を見た電力会社の社員さんには大変感謝されました。
当時、環境技術部環境課長として環境事業に従事しており、社内唯一の放射線取扱主任者の有資格者であったことから放射能関連工事の受注活動・施工に従事。現場業務経験が少ない中、苦労を乗り越え除染工事を行った。
東北支店土木部山田町工事所/所長(当時)
小西 正郎KONISHI MASARO
福島県双葉郡葛尾村の除染工事の請負価格約490億円という奥村組史上でも最大規模のプロジェクトへの応札が当社の本格除染に踏み出した第1歩となりました。
当時、私は、当社で唯一「第1種 放射線取扱主任者」の資格を有しており、大阪大学や東海村にある日本原子力研究所の研究者として、出向していた経験があり、特殊なキャリアを持っていました。そのこともあり、必然的に、除染関連工事の受注・施工に関する業務に従事していました。
当時、私は、環境技術部の環境課長として、除染関連工事の受注も環境関連事業の1つとすることについて、当時の副支社長と相談し、応札に向けて動き出しました。福島県双葉郡葛尾村の除染工事の請負価格約490億円という奥村組史上でも最大規模のプロジェクトへの応札が当社の本格除染に踏み出した第1歩となりました。
本格除染工事では、最大3,000人の作業員と100人の職員を集める必要がありました。国からの危険手当として1日1万円が支給されるという条件はありましたが、この規模の人員確保に不安を抱きつつ着工した状況でしたが地元の協力等を得て、3000人の作業員を何とか集めることができました。関係者は全員被ばく管理を行い、被ばく量を測る線量計を付け、日々の被ばく量を計測しながら除染作業を行いました。
除染工事は急募で集めた2,000人の作業員のうち建設工事の未経験者が7~8割を占め、建設作業のイロハのことを知らない作業員が多く、管理する職員が大変な苦労を余儀なくされました。新入社員から3年程度の現場経験しか無い経歴で、右も左もわからない状態で工務担当副所長という立場を務めたことが一番の苦労でした。
福島県 葛尾村
葛尾村で発生した家屋解体廃棄物、片付け等で排出する。廃棄物及び除染廃棄物等を用地役12haに処理施設を整備し、処理を行うことを目的とする。
福島県 葛尾村
東日本大震災から10年以上経過した今でも、継続している事業があります。ふくしまクリーン事業です。
当事業は、2016年より開始され、現在も継続しており、工事は2024年3月31日まで続く予定です。当工事は、福島第一原子力発電所の事故に伴い発生した放射能により汚染され、福島県内180カ所余りに保管されている主灰、不燃物、浄水発生土等の特定廃棄物を特定廃棄物埋立処分場(最終処分場)へ運搬することを目的としています。
また、飛灰・混合灰については固型化施設へ運搬し、固型化の後、特定廃棄物埋立処分施設へ運搬します。
運搬する特定廃棄物量は約70万t、詰替えをする特定廃棄物量は約13万tに及びます。
運搬においてはGPS機能を備えた車載システムを搭載し通信により運行管理を行っています。積荷についても全ての積荷にRFID(ICチップ内蔵タグ)を取り付け、位置情報、積載の情報、ルート逸脱アラート、急発進・急ブレーキ、速度超過の警告などの情報を運行管理室と共有し、徹底的な運行管理を行っています。
震災から10年以上が経過していますが、復興関連工事はまだまだ継続しています。当社はこれからも被災地の復興に尽力します。