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第1章 あの日を想う

第1章 あの日を想う

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いちはやく、被害者に住むところを

住むところを確保する

災害廃棄物の処理だけで終わりません。大規模な宅地形成により本格的な復興が始まります。奥村組は災害廃棄物処理で従事した山田町大沢地区で、UR都市機構の復興CM事業を実施しました。大津波により非難を余儀なくされた被災者の、帰る場所を、あの時の景色を、取り戻します。蘇らせます。

※写真:津波により甚大な被災を受けた岩手県山田町

復興CM事業とは

復興CM事業とは、CM方式を利用して震災復興特有の課題解決、円滑な事業の実施といった発注者が求めるニーズに対応し、被災地の住民生活や地域経済の再建に向け、早期に復興事業に着手し、事業の完了を図るため、導入された方式です。

CM方式とは「建設生産・管理システム」の一つであり、発注者の補助者・代行者であるCMR(コンストラクション・マネージャー)が、中立性を保ちつつ発注者の側に立って、設計の検討や工事発注方式の検討、工程管理、コスト管理などの各種マネジメント業務の全部または一部を行うものです。災地の風評被害を生み、国民の不安を増大させました。

女川原発でも冷却管の破損から、冷却水が必要な状況でした。当社は、冷却管が破損していた女川原発へ冷却水を400m3/日運ぶため、バキューム車を5台、タンク車を15台、合わせて20台を手配し、不休で女川原発の事故防止に貢献しました。

復興CM事業とは
生活用道路
伐採完了
伐採完了
宅地完成
宅地完成

住宅をつくり、道をつなぐ

復興CM事業では、UR(都市再生機構)が山田町から、事業委託を受け基本計画を行い、工事を発注。奥村組が主体となり計4社で、JV(共同企業体)を組み受注しました。このJVで、調査・測量、設計、施工といった流れで工事を行いました。

大沢地区では、海沿いの多くの家屋や水産業施設は津波によって流されてしまいました。復興事業の全体計画に基づき、海岸沿いに旧防衛堤より約3m高い防波堤を新たに築き、その内側のかさ上げおよび区画整理を行いました。また、新設する防潮堤や区画整理の関係上、宅地がさらに必要になるため、山岳部に宅地を造成し、住宅を新設しました。

工事を行う際は、生活道路を境にして海側にあたる住民の妨げにならない所で一気に行い、住民が付近にいる地区は最終に行いました。

工事では、宅地造成で発生した土を区画整備地やかさ上げを行う場所に車両やダンプで運ぶ必要がありました。工事に使用する車両やダンプによって地元住民の交通を妨げることのないよう、仮設で積込場と区画整備地を結ぶ道路を造りました。また、区画整備の地にも仮設の生活用道路を造ることによって、国道までのアクセスを充実させました。

大沢地区の計画図
大沢地区の計画図
現在の大沢地区
現在の大沢地区
地域一体となり復興へ

地域一体となり復興へ

当時、西日本支社にて従事していたが、東北復興に向けた大規模造成工事を行うことになり、その経験値の高さから工事所長に抜擢された。年齢的な不安も抱えながら、当社初めてとなる復興CM事業を、地域の方々を優先に考えマネジメントを行った。

東北支店/土木部UR山田町工事所(当時)

加納 雅彦KANOU MASAHIKO

CMR大規模造成工事の所長へ

岩手県山田町から復興CMによる宅地造成工事が発注された際、社内では誰をCMR(コンストラクションマネージャー)として所長にするのかという話がありました。私は、過去に大規模造成工事の経験があったため、CMRに選ばれました。

与えられた天命

当時、59歳で体力的不安もありましたが、CM方式というわが社でも初めての試みでしたので役所から指示された物を造るのではなく、自ら交渉して調査・設計し、物を造ってみたいという気持ちが生まれました。復興工事は単なる施工ではなく、住宅を無くした方のため、困っている方々の手助けになる、社会貢献ができると思いました。長年この業界に勤めて、与えられた天命だと感じました。

地元住民との触れ合い

工事を進めていくために、地域との協力は重要でした。工事で利用するための土地を空けてもらい、仮設道路を造る際にも協力していただきました。また、地域との交流の場もたくさん作りました。津波に流された集会所や公民館の代わりにインフォメーションセンターをつくり、地元の小学生や幼稚園児の作品を展示させていただきました。その他、餅つき大会や神輿の担ぎ手、保育園のクリスマス会などに参加しました。地元住民との触れ合いが、復興への意識を強くしてくれました。

社会貢献できる仕事

復興CM事業は、全工期延べ労働時間76万時間を無災害で終えることができました。これも工事関係者含め地域とともに一体となり復興へ進めたからだと思います。山田町では、瓦礫処理から始まり、奥村組は多くの工事を行いました。ゼネコンは社会貢献できる職業なのだと、若い職員には誇りをもってほしいです。

主要な工事

山田町・石巻市

①UR山田町

UR山田町
工事名称
①平成25年度大沢地区詳細設計他業務
②平成25年度大沢地区詳細設計他(その2)業務
③平成26年度大沢地区詳細設計他業務
④平成26年度大沢地区整地工事
発注者
(独)都市再生機構
着工~竣工
①2013.12.27~2014.11.30
②2014.2.5~2014.11.30
③2014.4.28~2014.11.30
④2014.8.9~2016.8.31
工事概要
構造物撤去、建築除去工事、給水工事、防災工事、整地工事、法面工事、植生工

②石巻CMR

石巻CMR
工事名称
石巻市復興整備事業半島部防災集団移転促進事業等の工事施工等に関する一体的業務
発注者
石巻市
着工~竣工
2013.12.24~2021.3.19
工事概要
防災集団移転促進事業31地区、漁業集落防災機能強化事業66漁村、地域拠点整備事業、移転促進元跡地の造成及び整備事業、関連公共施設設備事業

音楽で広がる輪

私が被災地(山田町)へ赴任してから2週間後、船越公園内の建物内で、大津波で壊れたエレキギターを発見しました。土砂がぎっしり詰まっていたギターを洗浄・修理し、持ち主に返そうと役場に張り紙をして連絡を待っていたところ、本人から連絡があり、返すことができました。このことが山田町の音楽仲間と繋がるきっかけとなり、音楽を通して何かしてみたいと思いました。

当時、山田町はまだ真っ暗でしたが、1軒だけ22時まで明かりがついており、音楽が聞こえてくるところがありました。1階が被災して2階が残ったような場所で、その2階でお酒を飲んだり、歌ったりする場所を提供していました。そこでは被災者がお互い慰め合ったり、励まし合ったりする拠り所になっていました。私はそこで初めて一人で生演奏をしました。

高橋 義章
高橋 義章
修理したギター
修理したギター

そこに来ていたドラマーと意気投合し、2人で復興第1号となった自動車鈑金工場の落成式を始め、飲食店のオープン、スーパーの朝市など様々な場所やイベント等で演奏してきました。演奏活動をしながら、少しでも地元の方々に喜んでもらえたこと、自分達も楽しみながら演奏できたこと、そして何よりもパワーと元気を貰うことができました。

はじめは、壊れたギターを修理しただけでしたが、それが音楽活動に繋がり、被災者との絆を深め、少しでも寄り添うことができたのかなと思います。

インタビュー動画